函館市文化・スポーツ振興財団

蛯子 末次郎 (えびこ すえじろう)  1842年~1912年

日本の近代文明に新風を吹き込んだ果敢なる航海師。

蛯子 末次郎

天保13年12月27日箱館に生まれる。蘭学者武田斐三郎が教授役であった諸術調所(在箱館)で航海術を学び、文久元年4月箱館奉行企画の黒竜江出貿易の亀田丸にて出帆、斐三郎船長、末次郎は途中沿海の測量方を担当した。

4ヵ月にわたったこの時の航海はニコライの記述にも残っているが死を覚悟する程の航海であったらしい。次いで元治元年2月、これも箱館奉行企画の上海出貿易において、兵庫を出帆した健順丸の測量方としてその任務を果し、7月無事品川に帰着した。

明治5年正月開拓使御用掛となり、樺戸丸船長を命じられた。樺戸丸船長時代、開拓使長官黒田清隆の命により、開拓使の記章として赤五星の各種デザインを提出させ、その中から選んだ。

同年、4月弘明丸船長となり、5月樺太に巡航、明治8年4月箱館丸船長となり、8月樺太千島交換の際樺太に巡航した。明治9年黒田清隆特命全権弁理大臣として朝鮮に赴くに際し、船長として同国江華府に航した。

明治10年2月矯龍丸船長となり、黒田清隆参軍を乗せて西南戦争参加のため九州に航した。明治14年8月天皇陛下の北海道行幸せられるにあたり、玄武丸を以て運漕事務を掌った。

明治15年2月農商務省御用掛に任じ、後逓信省司検官となり、東京、函館に在勤、明治31年4月逓信技師に任じ、明治34年3月本官を免ぜられた。

函館ゆかりの人物伝