奥平忠志 (おくだいら ただし) 1936年~2007年
国際的視点に立って人材養成や地域づくりに尽力した道教育大名誉教授、札幌国際大学観光学部初代学部長・奥平忠志。
昭和11年3月23日、函館市に生まれる。北海道函館中部高等学校を経て、東北大学理学部地学科(地理学専攻)に進む。33年3月に卒業後、直ちに北海道函館西高等学校教諭として赴任する。
37年4月、函館工業高等専門学校講師に転任。44年4月、北海道教育大学函館分校に講師として着任。以後、地理学研究と学生教育に携わり、平成11年3月、北海道教育大学教授職(函館校)を退官する。
翌4月、札幌国際大学教授(初代・観光学部長)として招かれ、16年3月、札幌国際大学観光学研究科長を最後に定年退職する。
札幌国際大学を離れた後は、札幌と函館を往復しながら、マチづくりの人材養成の「NPOサポートはこだて」とNPO「どうなん『学び』サポートセンター」を立ち上げ、理事長として企画・立案・運営に携わる。
専門は、人文地理学の都市地理学・経済地理学ではあるが、専門分野を超えて多くの研究業績を残した。北海道の都市や工場での諸問題を「辺境」ゆえの地域性や地域間格差の問題として提起している。
その後は北海道内の地域調査や「僻地」調査などから、地域変化の観点で地域間格差の解消に多くの提言を残した。
昭和53年に在外研究員としてオーストラリア・モナシュ大学に留学してからは、研究対象が、カナダ、アメリカ、ヨーロッパなど広く海外へも向けられ、地域の産業をいかに発展させて、地域活性化を図るか、地域間格差を解消するにはどうするか、地域間のネットワークをどう構築するか、の3つの観点があった。
その延長として、57年からの社団法人「北海道地方自治研究所」、平成3年「北海道歴史を生かすまちづくり推進委員会」、15年「北海道遺産構想推進協議会」などの役員として社会的にも積極的に活動する。そして最後の仕事が国際協力機構(JICA)の専門委員会(トルコ国際振興)であった。
平成19年3月13日、JICAの要請で観光振興の助言のために訪れていたトルコ・アルトヴィン県での視察中に屋外で階段から転倒して重傷を負い、意識不明となる。3週間後に札幌へ戻ってきたものの、治療のかいなく8月24日、道南の名伯楽・奥平忠志は71歳で旅立っていった。
奥平忠志の真骨頂は市民活動であった。函館の文化の再認識を、と「函館の歴史的風土を守る会」や「連絡船を守る会」、ローカル線存続運動などに係わり、理論、実践両面で最前線に立ってきた。
函館市公益事業功労賞、叙正四位、授瑞宝中綬章。