小島千代松 (こじま ちよまつ) 1865年~1927年
本道屈指の書籍商として、また出版人として北海道発展と文化に尽力した小島大盛堂店主・小島千代松。
慶応元年7月、近江国神崎郡能登川村大字北須田(現・滋賀県神崎郡能登川町)に小島平次郎の長男として生まれる。幼くして父母を喪い9歳にして商家の丁稚となり、16歳の時上京して呉服の行商をするが失敗し、八百屋に転じるが生もの故に利益少なくこれも廃業となる。
次に街頭に出て戸板に古本を並べ書籍商の第一歩を踏み出す。書籍を携えて奥羽地方(現・東北地方)を行商し、明治21年函館に初めて渡る。更に江差・寿都・岩内・小樽・札幌・室蘭と道内を行商して利益を上げ、翌年も奥羽地方より本道に行商するが利益を得ず。
行商先を変え、関西から九州に入り大島、琉球に赴き満2年を費やして僅かな利益しか上げることが出来ず、地方行商の前途に望みはないと判断して東京を去る。27年函館に居を定めて図書出版及び書籍店「小島大盛堂」を開業する。
明治32年8月、函館書籍商組合を設けて組合理事に選ばれる。
明治33年、地蔵町(現・豊川町)に移転し、一層営業を拡大し北海道屈指の書店となる。
郷里近江に帰省の際には、村内の貧困者に多くの金品を寄付し時の県知事より賞杯を贈られる。
小島大盛堂は、北海道の出版を語る上において忘れることの出来ない版元で、案内物・地図・絵葉書・追分節等の出版を主体として北海道最大の書店として明治後期より大正初期まで全盛を誇る。
出版物の背景には、北海道に興味を抱く人々や観光地として脚光を浴びてきた新開地への旅行の手引きと土産品、更に移民者への予備知識として実際に必要な資料として売り出された。これらを当て込んだ出版物ではあるが、一方では民間からの本道PRの一翼を担っていた。
小島大盛堂の処女出版物(書物)と思われるものが、明治34年に出された「北海道名所案内」で、行商の経験から北海道を全国に紹介するものであった。
明治37年、日露戦争が勃発し翌年には講和になったが「日露戦捷凱旋土産」「亜歴山陸戦隊軍歌」「樺太陸戦隊軍歌」等一連の戦争物を刊行した。
昭和になり、地方の小出版社は中央の大企業に押され活動は停滞状態となっていく。小島大盛堂も例外ではなく、出版から退き書籍販売に転換した。
出版という極めて難しい事業を明治、大正、昭和にわたって君臨した小島千代松は、昭和2年11月、没した。
主な出版物に「北海道みやげ蝦夷百風景」、「銅版画入北海道十二景」、地図入「北海道郡区町村案内」、「北海道全図」「函館市街全図」。「北海道名所旧跡」「最近の北海道事情」等がある。