谷杉写真館初代館主・谷杉 正
大正7年2月6日、上磯町(現・北斗市)の農家の五男として生まれる。体が弱くて農業を手伝えず、苫小牧の写真館で写真術を学ぶ。
昭和初期に湯の川に写真店(現在でいうプリントショップ)を構え、旅館や料亭で豪商たちの宴の座敷に出張撮影するようになる。商売としては、順調であったが、酔客に「おいっ写真屋、暗箱にちゃんと種板(現在でいうフィルム)入っているのか?」と、からかわれるのが何よりも嫌で、「いつか自分の写場を持ち、格調高い肖像写真を撮りたいっ!」と思い続ける。
昭和14年、長年の思いが叶い現在の丸井今井デパートの場所に伝統ある「田本研造写真場五稜郭支店」を受け継ぎ、屋号を「谷杉寫眞館」として開業する。
やがて太平洋戦争で満州に出征、戦後は平和の訪れを喜びながら、家族写真を中心にハイカラな函館の人々の「晴れの日」を撮影する。とても洒落っ気があり、宗家「田本研造写真場」の名に恥じないモダンなポートレートを数多く残す。
昭和39年2月13日、病により逝去、享年47歳だった。
谷杉写真館二代目館主・谷杉晃一
昭和17年9月25日、谷杉家の長男として五稜郭に生まれる。幼い頃から田本研造の曽孫・田本利子に息子のようにかわいがられていたが、写真にはあまり興味が無く、新島襄に憧れて同志社大学に進学する。
昭和39年、父・正が急逝し帰函する。全く写真技術や経験のない状態で亡父の跡を継ぐことになる。ちょうど写真がモノクロからカラーヘ変わる時代であった。
晃一は、持ち前の向上心と実践力で、当時最先端であったカラー写真技術を専門洋書などから学ぶ。努力が実り「谷杉のカラー写真は素晴らしい。まさに天然色だ」と評判になる。
やがて昭和のベビーブームが訪れ、谷杉写真館は「百日記念」撮影のお客さんで賑わう。「ここは産婦人科か?」と云われるくらい五稜郭の商店街でも噂となる。
昭和44年、丸井今井デパート建設のため、立ち退きとなり後方に移転する。
生来努力家だった晃一は黙々と技術を磨き、学んだ技術は惜しみなく同業者に提供し函館の写真文化向上に尽力する。だが、写真やカメラには強い関心が持てず、レンズを挟んで対峙する被写体(人物)に愛情を注ぐ。小さな子どもやお年寄りにもいつも優しく声をかけ、楽しむように撮影していた。そんな二代目・晃一が得意としていたのは、ロケ(屋外撮影)だった。北海道の写真館業界でロケを導入した先駆者でもあった。
平成18年2月22日、病により写真とともに歩んだ64年の生涯を閉じる。
現在は、3代目の館主・アキラ氏が、平成17年、美原に新しいスタジオ「写楽館」を、また大町にある道内最古の写真館「小林写真館」を復活させ、先代の精神を受け継いでいる。
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