トーマス・ライト・ブラキストン 1832年~1891年
日本の自然科学に、また近代化に、そして北海道開拓に少なからぬ影響を与えた英国の探検家。
トーマスは、1832年(天保3年)12月27日、イギリス、ハンプシャ州リミントンで生まれた。少年時代から博物学、とくに鳥類に興味を抱き、採集、研究していた。トーマス24歳の時、北米学術探検隊(パリサー探検隊)に参加、カナダで5ヵ月間、野鳥の生態観測、採集、研究をする。その後ロッキー山脈探検をする。1861年(文久元年)、トーマスは5カ月間にわたる揚子江上流の探検を終え、上海の港から一路箱館へ。初めて日本の土を踏んだトーマスはここで揚子江探検記録の整理をする。結局3ヵ月間函館に滞在し、本国に帰還する。そして1863年初夏、再び、箱館を訪ずれることになる。しかしこの時は探検家としてではなく事業家としての顔であった。ここでトーマスは20年余滞在することになる。「西太平洋商会」の支配人から「プラキストン・マル商会」の設立と、事業も軌道に乗りはじめた。しかし箱館戦争の勃発やあい次ぐ変動に遭遇し、トーマスの事業はいずれも失敗に終わってしまう。時間のできたトーマスは前以上に採集、研究に没頭した。そして発見されたのが津軽海峡における動物分布境界線「ブラキストン・ライン」である。北海道の鳥類・動物はアムール川(黒龍江)から津軽海峡を境としてシベリア亜区に属することを証明した。やがてトーマスの研究は世界の学界に認められるところとなった。