元木省吾 (もとき しょうご) 1892年~1973年
社会教育の向上と、郷土史研究に力を注いだ謹厳実直な努力の人。
明治25年、香川県高松の元木村で父鉀五郎(こうごろう)と母しげの長男として生まれる。37年、省吾12歳の時家族とともに新天地目指して函館に来る。
住吉小学校の教師をしていた姉ユキエの援助により、函館中学校(現函館中部高校)を経て広島高等師範学校(現広島大学)の国語漢文部に学ぶ。大正4年同校を卒業後、宮城県の古川中学校を最初の赴任校として、郷里函館、旭川、留萌で校長となり、再び旭川、そして母校函館中学校の校長を経て教員生活を終える。
当時の教師像ピッタリの”聖人君子型”で、そのまじめさは職員の間でも評判であった。その間、省吾の青春の思い出に故周恩来主席との出合いがある。大正7年27歳の時、召集で香川県丸亀連隊へ行く汽車の中でのこと。
自分の前に座っている留学生周恩来氏と日本文学や支那文学のことを話しているうちにお互いに意気投合し、手紙を書きあおうと名刺交換をした。交換した名刺は、すでに黄ばんでいるが石版刷りで周恩来と刻まれている。その名刺は今も大切に元木家に保存されている。
函館中学校退職後、市立保健所に勤め、昭和27年市立図書館長に就任、書籍の充実に努めるかたわら「函館市史」編さん審議委員会委員を務めるなど各種の社会教育事業に貢献した。当時の市長で函館中学校の後輩でもある吉谷一次氏は“まじめな人柄は、図書館にぴったり、酒もたばこも全くやらず、図書館長をやめてもとどまることを知らない学習意欲は数々の著作が示すとおり。謹厳実直な努力の人であった”と追悼の文章に残している。
今上天皇が皇太子であった年、函館に行幸されたおり、史跡五稜郭の案内役を務めた。40年、後進に道をゆずると図書館を退職する。その後も精力的に函館の歴史の研究に着手し、函館を知る上での重要な資料を数多く残した。
北海道教育功績者、全国社会教育功績者、昭和43年春勲四等瑞宝章、函館市功労者。
生涯勤勉を通し、毎朝、論語を読むのが習慣で、2男5女の子供たちすべての名に論語の一節を与えた省吾は昭和48年、81年の人生を終えた。
著書に「北方渡来」、「函館郷土暦物語」、「函館郷土史話」、「函館町物語」、「函館の履歴書」、「今日はなんの日」等数多くある。