ヤコボ 酒井 武雄 (ヤコボ さかい たけお) 1906年~1968年
敬虔なクリスチャンで、神と音楽に全生涯を捧げたヤコボ酒井武雄。
明治39年8月28日札幌に生まれる。武雄氏8才の時、道庁に勤めていた父栄次郎が道庁を辞め、渡島当別のトラピスト修道院のバター工場に勤める。それに伴ない家族は当別町に移住する。武雄少年は父の勤めるトラピスト修道院に頻繁に出入りするようになり、そこでパリ音楽院の教授であったペール・イレネー修道士よりハルモニウム・オルガンを、歌唱・作曲をシャル・タルシス修道士から手ほどきを受け、見る見る間に上達し、音楽のとりこになってゆく。兄の秀雄氏も同様に教えを受けたが彼はどうも音楽が体質に合わず後に作家名“もうりす”として彫刻の道を目ざし、五稜郭の行啓通り下の一角にギャラリーを開く。
大正15年、函館師範学校を卒業。在学中はローソクを灯しその明りでピアノの練習に励んでいたというエピソードが残っている。その後第2付属小(現亀田小)、聖保禄女学校(同白百合高)、市立中(同東高)、函館中(同中部高)にて音楽教師として勤務する。その間、昭和9年28才の時、函館の街が一夜にして灰燼に帰す大火があり、汐見町にあった酒井宅も数か月前に購入したばかりのピアノと共に焼失した。そこで元町カトリック教会のオルガニストでもあった酒井先生に教会から「オルガンか自宅のどちらかを買いましょう。」との申し出があり、即時に「オルガン」を希望した。そのオルガンが今、明治館で35年振りに復活されたリードオルガンである。このリードオルガンは昭和9年日本で3台しか製作されなかったもののうちの1台である。
昭和43年3月退職し、その後は宮前町で聖ミカエルピアノ教室を開き後進の指導に当たる。そして翌年の10月14日、62才の生涯をとじる。在職中も東京へ出向き東京芸大の高折宮次先生の指導を受けるなど、音楽に対する向上心は旺盛であった。「合唱組曲・修道院の丘」ほか、校歌等の作曲は100曲を越える。函館合唱連盟理事長、函館音楽協会評議員、NHK函館放送局合唱およぴ、聖チェチリア混声合唱団指揮者を歴任する。
昭和34年、その功績が称えられ第10回函館市文化賞を受賞する。
氏の音楽に対する情熱は子供から孫へそして曾孫へと脈々と受け継がれ全ての子孫が音楽の仕事に携わっている。
昭和30年故武雄夫妻の銀婚式を記念して家族による「酒井ファミリー音楽会」が始まった。今そのコンサートは不定期ながら昨年10回目を迎え、出演する人数も39名にもなっている。昨年この活動が高く評価され函館市文化団体協議会の青麒賞を受賞。これを記念して今年の8月9日市民会館小ホールで記念のコンサートが開かれる。