函館市文化・スポーツ振興財団

函館市文学館|函館が育んだ多くの文学者や文学作品を末永く後世に語り継ごうとして設立されました。
函館ゆかりの作家たちの自筆資料などを通して函館の魅力に触れることができます。 お電話でのお問い合わせは、0138-22-9014

常設展示の作家たち

 函館市文学館には、函館市ゆかりの文学者たちの著書や多くの直筆原稿、愛用の身の回り品などが展示されています。
また、2階は全フロアーにわたって石川啄木に関する資料が常設展示され、特に、定期的に入れ替えながら展示している函館市中央図書館「啄木文庫」所蔵の啄木直筆原稿は全国からも注目されています。

石川啄木
石川 啄木 いしかわ・たくぼく
明治19年(1886年)2月20日~明治45年(1912年)4月13日

 函館に在住したのは明治40年5月5日からの僅か132日でしたが、故郷渋民(現盛岡市)を出てから穏やかな生活を送ることができたのは唯一函館でした。函館で啄木は海を散策し「苜蓿社」の仲間と若々しい交流を図りました。また、弥生尋常小学校の代用教員、函館商業会議所臨時雇、函館日日新聞社遊軍記者という職も得て、散り散りになっていた家族も青柳町の借家にまとめたのです。しかし、8月25日の大火で函館での生活基盤を失い、札幌、小樽、釧路、東京へと移り住みました。啄木は、函館の立待岬の墓地に家族とともに眠っています。また遺稿の多くは函館市中央図書館「啄木文庫」保存されています。

今 東光
今 東光 こん・とうこう
明治31年(1898年)3月26日~
昭和52年(1977年)9月19日

 5歳の時、日本郵船欧州航路の船長であった父親について函館に移り住み、遺愛幼稚園から弥生小学校へ進みましたが、翌年小樽へ転校しました。第36回直木賞を受賞した「お吟さま」のほか、「闘鶏」「春泥尼抄」「悪名」などの作品があります。

長谷川海太郎
長谷川 海太郎 はせがわ・かいたろう
明治33年(1900年)1月16日~
昭和10年(1935年)6月29日

 2歳で佐渡から函館に移住。アメリカに渡って放浪したあと作家活動を始め、谷譲次・林不忘・牧逸馬という3つのペンネームを用いて時代を風靡する流行作家となりました。「新版大岡政談」に登場した「丹下左膳」は映画でも大ヒットしました。

髙橋掬太郎
髙橋 掬太郎 たかはし・きくたろう
明治34年(1901年)4月25日~
昭和45年(1970年)4月9日

 函館日日新聞社に勤務していた時に作詞した「酒は涙か溜息か」が古賀政男の曲と藤山一郎の歌で大ヒットしました。「ここに幸あり」「古城」「石狩川悲歌」「足摺岬」など数々のヒット曲の作詞をし、日本歌謡史に不朽の名声を残しました。

梁川剛一
梁川 剛一 やながわ・ごういち
明治35年(1902年)3月30日~
昭和61年(1986年)4月26日

 函館生まれ。東京美術学校(東京芸術大学美術学部)彫刻科塑造部を首席で卒業し、函館のシンボルである「高田屋嘉兵衛像」や「明治天皇御上陸記念碑」などを制作しました。また「少年倶楽部」などの挿絵画家としても活躍しました。

久生十蘭
久生 十蘭 ひさお・じゅうらん
明治35年(1902年)4月6日~
昭和32年(1957年)10月6日

 函館市生まれ。捕物帳・純愛・探検・SF・ノンフィクション・人情話等々あらゆるジャンルで才筆をふるいました。「鈴木主水」で直木賞を受賞し、サイパン島での集団自決を扱った「母子像」は世界短編小説コンクールで第1席に入選しました。

片平庸人
片平 庸人 かたひら・つねと
明治35年(1902年)7月21日~
昭和29年(1954年)12月26日

 仙台生まれで野口雨情や西条八十に私淑。昭和5年に函館へ移り「北海詩戦」に参加して民謡を発表しました。自ら主宰して同人誌「艸(くさ)」(「北日本民謡」)を創刊しましたが、髙橋掬太郎の「酒は涙か溜息か」はその同人誌に発表されました。

今 日出海
今 日出海 こん・ひでみ
明治36年(1903年)11月6日~
昭和59年(1984年)7月30日

 今東光の弟。函館市生まれ。陸軍の報道班員としての従軍体験で人間の裏面を見たことから小説を書くようになって「山中放浪」を発表し、昭和26年、「天皇の帽子」で直木賞を受賞しました。佐藤栄作首相に請われて文化庁初代長官も務めました。

水谷 準
水谷 準 みずたに・じゅん
明治37年(1904年)3月5日~
平成13年(2001年)3月20日

 函館市生まれ。早稲田高等学院在学中に小説「好敵手」が雑誌「新青年」の懸賞小説に当選して作家としてデビューし、大学を卒業後は自分自身が「新青年」の編集に携わり多くの新人を世に輩出して名編集長といわれました。

亀井勝一郎
亀井 勝一郎 かめい・かついちろう
明治40年(1907年)2月6日~
昭和41年(1966年)11月14日

 函館市生まれ。傷ついた自我の再生を宗教体験に求め、「いかに生くべきか」という問いかけをもとに、「大和古寺風物誌」「我が精神の遍歴」「愛の無常について」など、文学論・宗教論・美術論・人生論・文明批評と幅広い執筆活動を行いました。

長谷川四郎
長谷川 四郎 はせがわ・しろう
明治42年(1909年)6月7日~昭和62年(1987年)4月19日

 海太郎の末弟。函館市生まれ。シベリアの抑留体験をもとにした「シベリア物語」「鶴」(芥川賞候補)などの小説や多数の翻訳・詩・随筆を執筆し、「長谷川四郎は日本文学の中の一つの不思議だ」といわれる独特の世界を築きました。

齋藤 玄
齋藤 玄 さいとう・げん
大正3年(1914年)8月22日~昭和55年(1980年)5月8日

 函館市生まれ。早大在学中から新興俳句に親しみ、昭和15年、壺俳句会を興し俳詩「壺」を創刊しましたが、昭和18年に石田波郷に師事してから俳風が一変しました。昭和55年の死の一ヶ月前、句集「雁道」で北海道初の蛇笏賞を受賞しました。

森本貞子
森本 貞子 もりもと・ていこ
大正14年(1925年)9月20日~

 函館市生まれ。地震学の父英国人ジョン・ミルンと国際結婚をした願乗寺の娘堀川トネの愛と苦悩を描いた「女の海溝」で脚光を浴びました。同じく進取の気性に富んだ函館の女性を描いた「冬の家」は、島崎藤村の最初の妻秦冬子が主人公です。

井上光晴
井上 光晴 いのうえ・みつはる
大正15年(1926年)5月15日~平成4年(1992年)5月30日

 昭和63年に函館文学伝習所の講師を務めたほか、平成元年に季刊雑誌「兄弟」を創刊、市内にマンションを購入して文学活動の拠点とするなど函館と深く関わりを持ちました。「書かれざる一章」「心優しき反逆者たち」など多くの作品があります。

佐藤泰志
佐藤 泰志 さとう・やすし
昭和24年(1949年)4月26日~平成2年(1990年)10月10日

 函館市生まれ。函館西高校時代から小説家を志望し、「きみの鳥はうたえる」以来5度も芥川賞候補に名をあげながらついに受賞を果たせませんでした。遺作となった「海炭市叙景」が函館市民有志による制作実行委員会の手で映画化されました。

宇江佐真理
宇江佐 真理 うえざ・まり
昭和24年(1949年)10月20日~平成27年(2015年)11月7日

 函館市生まれ。函館中部高校時代から創作を始め、「幻の声」でオール読物新人賞、「深川恋物語」で吉川英治文学新人賞を受賞しました。「髪結い伊三次」シリーズはテレビドラマとなり、「雷桜」は映画化されました。函館に住んで執筆活動を続け「函館市文化賞」を受賞しました。

辻仁成
辻 仁成 つじ・ひとなり
昭和34年(1959年)10月4日~

 函館に住んだのは4年間で函館西高校では佐藤泰志の10年後輩でした。函館を舞台に「クラウディ」や「母なる凪と父なる時化」などを書き、平成9年、「海峡の光」で芥川賞を受賞しました。芥川賞受賞を讃え「函館市栄誉賞」を贈呈されました。

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函館市文学館

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